恥と罪、どっちの目を気にして生きる?
YouTubeで、細川バレンタインさんが語っていたある言葉が、妙にしっくり来た。
日本人は「恥の文化」。
アメリカ人は「罪の文化」。
つまり、日本人は「人にどう思われるか」を気にして生きる。
一方アメリカ人は、「神様にどう思われるか」を気にする。
もちろん、信仰心の強い日本人もいれば、無神論者のアメリカ人もいるわけで、全員に当てはまるとは思わない。でも、「あー、わかるわ」って、納得してしまった。
「他人は関係ない」って言いながら、関係ありまくる自分
実は自分、子どもや周りにはよく言ってます。
「他人の事は関係ないから、そんな気にせず自分のやりたいように振る舞ったら」って。
でも、自分の行動をふと振り返ると、芸能人やYoutuberには「あいつ承認欲求の塊やな」とか言ってけなしながら、自分のことは“いい人って思われたい”、“賢そうに見られたい”、“ちょっとすごいって言われたい”みたいな行動に自然となってる。
そうならないように気をつけてるけど、「あ〜今の、ちょっと承認欲求でてたかも」ってあとで恥ずかしくなる瞬間が、けっこうある。
でもそれって、人間らしいってことかもしれない。
「カッコつけたい」と思うから頑張れるし、良い行動をとれるわけで。
ただ、それをいちいち口に出すとダサくなっちゃう瞬間がある。
能ある鷹、でもちょっと爪を見せたくなる人間味
理想を言えば、「能ある鷹は爪を隠す」タイプの人間になりたい。
誰が見ていようが見てなかろうが、コツコツいいことして、偉ぶらず、静かにカッコいい人。
でもまぁ、たまには爪チラしたくなるよね(笑)
大谷翔平の「徳を積む」って話を聞いて、人が見てないところでも、ちゃんとしてる人って、かっこいい。と思いながらも、それさえも誰かに気づかれないかなと思ってしまう…。
一方アメリカでは、周りなんて気にしてられない
とはいえ、アメリカの人たちって、日本人に比べるとだいぶ「周りの目」から自由に見える。
たとえば、60過ぎたおじいさんがサーフィンしてたり、70代のおばあちゃんが水着でビーチに寝転んでたり。派手な服着てバーに行くし、年齢に関係なく恋愛やデートも楽しむ。
日本だったら「いい年してw」と言われそうなことでも、アメリカでは「かっこいい」「自由で素敵」ってなる。
これって、やっぱり「人にどう思われるか」より、「自分がどう生きたいか」に軸があるからだろうな。
神様に与えられた命を、他人の目なんかで縮こまらせてどうする?
それより、「自分を持ってる」ことがクールだ、って感覚。羨ましい。
学校で、よく理解してないのに、そのときに思ったことを堂々と発言する子ども
これがアメリカ人のイメージ。わかったふりして黙っているより、間違ってても発言する、わからない時はわからんと言う、これはホント見習うところで、目下実行中。
太ってても、家が狭くても、モテる子
子どもの学校で、「自分を持ってる」ってだけで人気のある男の子の話を聞いたことがある。
He is just himself! って感じで言ってた。
太ってて、お金持ちでもないし、家も小さい。
だけど堂々としていて、自分を卑下しない。
その姿がカッコよくて、女の子にもモテてるんだとか。
なるほどなーと思った。
はしゃぐ勇気、黙る知性。どっちも大事。
うまくできないのに人前でやっちゃうとか、目立つのが怖くて動けない人も多いけど、逆に「失敗しても笑ってすませる勇気」って、実はめちゃくちゃカッコいい。
ただ、人を傷つけてはダメ。それだけは絶対に守りたい。
だから日本ではしゃぎすぎて人を傷つけたり周りに迷惑かけてる外国人はNG。
ってことで、最近の自分のテーマは、 「迷惑かけない程度にはしゃいでいこう」
ってのが良いかもしれない。
最後に:周りの目を気にしすぎて、自分の人生を縮めるな
他人の目を気にしすぎて、本当はやりたいことができない――それって、もったいない。人生がもったいない。
「どう思われるか」より「どうありたいか」。
「なにいまさらやってるんだよ」
「いまさら遅くない?」
こんな声が聞こえてきそうで怯む前に、まず実行。
人の目より、自分の心。
その辺ちゃんと見つめて生きていく方が、たぶん人生はちょっとだけ自由で、ちょっとだけ面白くなる。